くま美術史

くま美術店の公式ブログです。するりとわかる美術史や、笑える美術の展覧会情報などをお届けしていきます。公式販売サイト「くま美術店」http://kuma-bijutsu.jp/

リーディング・ミュージアム(先進美術館)について1人の美術ファンとして思うこと

さっき知ったのですが、政府(文化庁)が「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」というものを構想しているようです。それについて、思ったことを書いていきます。

 

ただ、現時点ではいくつかの報道記事を読んで知っただけなので、こみいった深い事情なんかはまったく知りません。

読んでいただいた方の中で「これは違うよ」って思うことあれば、ぜひコメントなどでお知らせいただけると嬉しいです。

(ただし、ハテナブログにはコメント返信機能がないため、いただいた意見は読ませていただき感謝すれども返信できずです。ご了承を)

 

まず、読んだ記事は以下になります。

国の「先進美術館」構想に批判噴出、収蔵美術品の流出加速? | inside Enterprise | ダイヤモンド・オンライン

政府案の「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」とは何か? 文化庁「確定事項は何もなく検討中」|美術手帖

賛否両論「先進美術館」構想。美術館の役割とは。そして人口減少時代における生存戦略はいかに。:アートをおしきせ 20180520 | ARTLOGUE

美術作品の売買で市場活性化、文化庁の「先進美術館」構想に全国の美術館が「NO!」 | ORICON NEWS

美術作品の売買で市場活性化、文化庁の「先進美術館」構想に全国の美術館が「NO!」 - 税金やお金などの身近な話題をわかりやすく解説 - 税理士ドットコム

 

どこも書いていることはだいたい同じで、リーディング・ミュージアム(先進美術館)っていう構想が出たよ。なんか、日本の美術館にある作品を売りたいらしいよ。けど詳細はわからず、これから慎重に議論して行く姿勢が求められますねってとこです。

 

これに対して市井の方々の反応をtwitterで見てみると

反対が多数。

 

 世界的アーティストの奈良さんや、全国美術館会議も、反対しているようです。

 

つまり、世論も現場関係も、ほぼほぼ反対のようです。

 

最初っからつまずいてますね。

 

それでも、私は賛成です。

いいんじゃない?って思ってます。美術品の流通を促して、価値を高めていこうっていうことは、いいことだと思っています。

個人は企業のコレクターに税制上の優遇を行い、リーディング・ミュージアムへの寄付を促す。リーディング・ミュージアムは国内で残すべき美術作品を検討、アートフェアやギャラリーから購入し、一定の作品はオークションで売却して流動化することで、美術作品の価値を高めて市場を活性化させるという構想だ。

この考え自体は理解ができます。実際に以下のような現場もあるわけですし。

多くの美術館の収蔵庫がすでに限界に近づきスペースが足りなくなってきている問題もあります。作品をコレクションをしているということは有限なスペースを消費している側面がある上、保存や管理のための費用も必要です。また残念ながら国指定の文化財の公開率はわずか1.5%ほどで死蔵化されてしまっている状況です。

 

ただし!!!

 たぶんうまくいかないと思います。

その理由は大きく分けて2つ。

 

1. 政府主導でものが売れるわけがない

わけがないです。美術品を売るってことは、個人に対して売るわけです。BtoCです。

鉄道や、発電設備などのインフラを外国政府に売るのとはわけが違います。

市場でものを売るってのは大変なことです。商品のことをしっかりと研究し、少しでもよいものをつくり(選び)、優位な価格を設定し、きちんと接客をしてお客さんのニーズを聞き、頭も体も精神も使い切って、それでやっと売れるかどうかってところです。

 

私は、同世代(30歳前後)の起業家の友達が多いのですが、みんな苦労しています。

その中で少しづつ成功の兆しが見えているのは、後の無い人たちです。

1番仲のいい起業家の友達は、今では順調にビジネスの波に乗っています。けれど、たった1年前にはキャッシュが尽きかけて、莫大な借金だけが残りそうな状態でした。

「このままだとお金がなくて解散。どうにもならない」と言っていた状態から、必死に地道に商品の改良や、伝え方の工夫、お客さんの話を聞くことで少しづつ売れるようになり、やっと軌道にのりはじめました。

彼曰く「昔は、いい大学とか、渡米経験とか、そういう"箔"があれば自然に成功するものだと思っていたけど、そんなことは全く必要じゃなかった。信じて、地道にやっていいくしか道はないんだと思う」です。

 

政府の方々にこれができるとは思えません。

こんな百貨店つくっちゃうくらいだし。

news.yahoo.co.jp

 

また、海外のアート市場が大きいのは、アートに関わる方々の不断の努力の賜物です。

いつだったか、なんかの雑誌で奈良美智さんのインタビューが載っていて、こんな話が書かれてました。

「僕(奈良さん)は基本的にメールの返信とかしないんです。なので、ニューヨークで僕の作品を売っているギャラリーは困って、日本語のできるスタッフを雇って、日本語でメールをしてくるようになりました。僕1人のために。でも、僕は言ったんですね。そんなことしても、メールは返信しないよって。そうしたら、ギャラリーの人はこう言うんです。私たちは、あなたの作品を売って生活している。だから、あなたとあなたの作品のためにできる限りのことはすべきだし、日本語ができるスタッフを雇うことはただの義務だ。って。それを聞いてちょっと感動してしまって。」

 

うろ覚えだけど、だいたいこんな内容だったと思う。

政府のお役人さん主導で、こんな発想には絶対にならないと思う。アーティスト風情が、こちらの連絡を無視するなんて言語道断だ!とか、思っちゃうでしょ。

 

海外でアートが大切にされ、市場が大きいのも、1人ひとりの意識が高いことが中心となっているんです。

もちろん税制面の優遇とか、歴史的な背景は大きく影響しているけれど、それだけでギャラリーを開けばお客さんが押し寄せるような状況はどこにも無いです。

 

美術作品というのは、アーティストが、自身を取り巻く様々な状況の中で育んだ問題意識や美意識を、圧倒的なアイデアと技術を持って世の中に表出したものです。

だから、売る側には、アーティストの人間性全てを肯定していく必要があります。メールを返せないんだったら、それはアーティストの人格形成に必要な要素だったと判断して、受け入れ、かつ、できる限りの努力でそれを補っていくしかありません。

やっぱり、アーティストを尊敬できない人たちに、美術作品を取り扱うことは難しいですよ。

特に現代美術は、金や宝石のように、誰が見てもなんとなく美しいってわかるようなものじゃないから。

目に見えにくい問題を表現するために、あえて一部の人には嫌悪感を抱かせるような表現方法もあるわけだし。理解できないと思いますよ。たぶん。

だから、石油の価値がわからない人が石油を売れるわけないのと一緒で、美術作品の価値を心から信じて、さらに地道に努力を継続する姿勢がなければ、絶対に売ることはできません。

 

政府にビジネスは無理だし、それがアートとなればもっと無理!

 

2. 売りたくない作品から売れちゃう

2番目の理由は、これです。いきなり前言撤回となるけど、それでも、日本の美術館にある収蔵品を海外オークションにかければ、それなりに売れるとは思うんです。だって、日本の収蔵品は魅力的な作品が多数あるから。

上野の国立西洋美術館や、竹芝の国立近代美術館のコレクションにある印象派ピカソレベルの大作家の作品は、すぐに数十億の値がつくと思います。

現代美術も優秀で、清澄白河東京都現代美術館のコレクションとか、金沢21世紀美術館のコレクションなんて、どこに出しても賞賛を得られる素晴らしいものです。

 

だけど、これ売ってどうするの?って話です。

各館の目玉になるような作品がなくなってしまっては、問題あるというか、じゃあ、なんのために美術館があるの?そこに、なにを見にいけばいいの?って話になりますし。

だいたい、素晴らしい作品は、永続的に巨万の富を生み出します。モナリザなんて、今だに年間いくらのお金をフランスに落としているか。モナリザ目当てで来る旅行客はもちろん、グッズ販売や、宣伝効果まで考えたら、なんかすごそう。

今売れるから売るって短絡的な価値よりも、長きにわたって持続していく高い価値を見落とさないようにしてほしいです。

 

なにより、美術館というのは、1点1点の作品の素晴らしさよりも、テーマに基づいた作品の集合体を楽しむ場所だし、そのためにいろいろな作品を集めています。

その集合を見て「この時代の人はこんなことを考えていたんだね。そしてこの時代に繋がっていくんだね」なんて見方ができるようになっているんです。あまり重要視されていないけれど。

そのため、そこから1つの作品がなくなってしまったら、全体の価値を著しく損なう結果になることもあります。

 

そして、最も憂慮される事態としては、わりと最近の作品が、不当な価格で取引される恐れです。

これは、明治時代に、江戸絵画を、二束三文で海外流出させ、その価値をいち早く認めたアメリカのボストン美術館が、壮大なコレクションを形成し、日本に逆輸入しているような事態が考えられます。

岡倉天心とかが戦略的に海外に輸出した部分はいいんですよ。でも、そうじゃないものがたくさんあったから)

もっと最近だと、村上隆がニューヨークのアート市場で脚光を浴びて帰ってきたこととか。

これらを日本の経済的な損失で合計したら、恐ろしいことです。

 

売れたらいいってもんじゃ無いんです。価値がわからないと、巡り巡って大損こきます。

 

そして、結局は、売りたい作品。つまり、そこそこの価値である作品(具体的にどういうっものかはわかりませんが)は全く売れないという結果になり、必要なものはなくなり、不必要なものが残る結果となります。

 

ふむ。

賛成とは書いたけど、まぁ、やらない方がいいなって思ってます。

でも「アート業界最後のフロンティア日本」で、市場を活性化させる必要はあるし、個人単位のアーティストやコレクターから見ても、その意義は大きいと思います。

 

それでは、どうしたらいいか。

こうすれば、このプランは成功するんじゃ無いかなって思うことを書いていきます。

 

3. 日本政府がアート業界のためにできること

 

【美術作品の購入金は税の控除対象に】

まずこれです。なんか、このプランでも、作品を買って、それを寄付してくれたら、控除するよって書かれてますが、そんなまどろっこしいことはいらないんです。

まず、作品売買をしているギャラリーを登録制にして、その税率を上げる(もしくは、登録料を取る)。ただ、企業や個人が、このギャラリーから作品を購入した場合その額を100%控除対象にできる。

こうすると、企業はせっかくあげた営業利益を税金で取られるぐらいなら、美術品という資産に置き換えて、手元に留保しようとするはずです。そして、これは資産なので、価値が下がることは避けなければいけません。そうすると、ギャラリーに対してより厳しい目が向けられ、美術のことをより知っていこうという社会全体の動きが期待できます。

これいいと思います。

問題点としては、国内のいくつかの企業が、特定の美術作品を回し続け、税金も取れず、作品も実際の価値と乖離したただの記号に変化してしまうこと。これを防ぐには、控除対象となった美術品を売却する際には、海外へ売却する、もしくは政府の影響下にない専門家が売却価格を決めるなどが考えられます。

 

【正しい美術教育の普及】

これは急務!私自身が義務教育で受けた美術教育はお粗末というか、害悪でした。

いくつか愚痴ってもいいですか?今でも根に持っている、小学校教員から言われた心無い一言。

「なんで輪郭線を描くの!(激怒)」

自画像を水彩絵の具で描く課題だったのですが、輪郭を黒い絵の具で描いたら、なぜか激怒されました(小学校4年時)。今でも、は?って思います。骨描きだよ!日本画の基本技法だろ!だいたい、指導すべきはそこじゃねえだろ!お前の指導こそ、表面だけなぞってるだけだろ!って思いました。

星野富弘さんに謝れ(激怒)」

私の育った群馬県星野富弘さんの出身であるため、星野さんファンのいかがわしい教員が、説教がてらその絵を見せてきます。当時(小学校2年)、その絵はよくかけていたと感じたので、「僕も口で描いてみようかな〜」と素朴な感想を口にしたら「星野さんはそんなことがしてほしくて描いたんじゃない!謝れ!」と凄まじい剣幕。勢いにやられて泣きながら謝ってしまったのは一生の不覚。今だったら「お前にこそ、気味の悪い道徳心に基づいた、上からの権威的な評価で絵を語るだけにとどまらず、生徒にまでその評価を押し付けようなどと、全表現者の敵だ!」って言い返します。

「もっと自由に(自由はない)」

これは何度言われたかわかりませんが、なぜかよく言われた言葉です。言ってるわりに、自由はないんですよね。だいたい、美術における「自由」とは、なんでも自由にやればいいというものではなく、憲法表現の自由のようなもので、なにを、どんな表現方法で表したとしても、公共の益を著しく損なわない限り、誰にも規制されるべきものではないということです。技術も思想も未成熟で、根本的に自由である小学生に「もっと自由に」なんて言っても、自由のなんたるかを理解することは難しいです。むしろ「先生こそ、もっと肩に力を抜いて自由になってほしい」と言いたい。

 

こんな感じで、そうとう美術のことを勘違いして育ってきました。その後、大学で学んだり、海外の美術館で学んだ美術(アート)は、全く違う世界で。

 

少なくとも、作品を本気で作ったり、キュレーションを本気でしたことのない人間は、美術教育をしてはいけないと思います。思います!

 

【大学授業料を基本無料に】

これも大事。基本、美術大学は金がかかるんです。私大だと年間150万円〜200万円。公立の美術大学でも100万円弱の授業料と施設使用料がかかります。これに、作品の制作費がかかるし、なにより、美大生っていうのは一般の方々が想像されているよりも、とても勉強熱心なんです。私のいた大学でも、バイトをするなら作品を作れ!という無言のプレッシャーが学生間でもありました。この際、美術に限らず大学(国公立)の授業料は基本無料にして、いい人材を惜しみなく育てましょ。ドイツは、これで成功してるし。

 

こんなところですね。

 

売るとかそういうのは、市場に任せておきなさいって。

政府のすべきことは、市場自体の健全性を保つために、最低限、やらなければいけないことをやってください。

そうしたら、最大限の価値を出すために、頑張る人は数多くいます!

以上!

お疲れ様でした!

はじめて裁判を傍聴してみて

久しぶりのブログうんぬんは置いておいて。

 

最近は、美術館やギャラリーには変わらず行っているし、趣味で作家ものの陶磁器を買ってみたりしている。

そういった文化的活動は一旦忘れてほしい。

 

今日は、裁判の話をしたい。

 

なぜなら本日私は初めて裁判を傍聴し、忘れ難い1日となったからだ。

 

傍聴した裁判は「東京地裁 平成29年 合(わ)第185号」

殺人事件の裁判だ。

 

10時をまわると検事や弁護人に続いて、被告人が紐に繋がれ入ってきた。

白髪初老の小柄な男性。この男性が、自身の母親を殺害したため、その罪を決定することがこの裁判の目的。

 

前回までの審理の様子はまったく知らなかったが、今回は検事側の論告と、弁護側の弁論があったため、大筋でなにが起こったのか理解することはできた。

 

端的に言えば、母の介護に疲れた男性(以下:被告)が、自らの手で母親(以下:被害者)を殺したようだ。

被害者は脊髄が圧迫されることで痛みと四肢の不自由があり、それが原因で老人性鬱を発症。さらに軽度の認知症も合併。結果、言動の不一致や、深夜徘徊などが多くなる母親の面倒をみていた唯一の同居人の息子が、ある夜に行なった犯行だ。

 

この時点で、みなさんはどう思われるだろうか。

私は「ああ。なるほど。どおりで人なんて殺せそうもないどころか、殴ることすら難しそうな人が出てきたわけだ。ありそうな事件だな」と思った。

 

まず、検事の論告が行われた。要点は以下。

・被告は自らの手で実の母親の首を締め殺した

・強い殺意は明確

→最初に首を締めた時に被害者は驚き倒れた。その後、より強く首を締めて殺した

・ある程度の自立した生活能力

→被害者は、要介護度で言えば最も低い等級であった

・病気で辛いだけの生活ではない

→被害者は、時折訪ねてくる友人とお茶を飲むことなど、ささやかな楽しみのある生活だった

・生きることに前向き

認知症の予防(治療)のため漢字の練習をするなど、前向きに生きていた。また、被害者は過去に自殺未遂をしており、そこから回復して生きていることは、前向きな人生を歩んでいると言える

・支え合う生活

→介護される側とはいえ、時折、被告のお弁当をつくるなど、支え合う生活であった

・自首は自発的な意志からではない

→被告は自首している。しかしそれは翌日に訪問客の予定があったため、早晩、自体が発覚することは明確であったから

 

なによりも大事なことは

他に取り得る手段があったのに、殺害という方法を選んだこと

介護施設や、病院への入院(鬱治療のための精神病院へ)など、他にもいくつか方法を選ぶことはできた。

 

ただ、個人的な見解として被告人をみると、真面目な人間であり、自身の犯したことへの反省も強く、特殊な状況で起こった事件であり、再犯の可能性は無いと言える。

しかし、罪の重さは社会的な影響も考慮しなくてはならず、同様の状況下にある人々が同じ過ちを犯さないためにも、比較的重い量刑であるべき。

 

これらを元に、過去の判例を鑑み、懲役6年を求刑する。

 

とのことだった。ここで15分の休憩。

その後、弁護人の弁論がはじまった。

 

弁論の要点はこうだ。

・長期の介護生活による疲弊の蓄積

→被告は、20年の長期に渡り献身的に被害者の介護をしていた。日々の世話や、毎週の病院通いによって、たまの休日もすべて母に捧げてきた。被害者を最も愛していたのは被告であった

・被害者の状態が突然悪化

→それまでも被害者のうつ状態は断続的にあったが、昨年の5月初めに急速に悪化し、話しかけても反応が薄くなる反面、深夜に徘徊し、目を離せなくなったため、睡眠時間を削られ、疲弊の度合いがよりつよくなった。結果、5月21日の夜に殺害を決行

・選択肢はなかった

→短期の入院であっても、被害者は被告に対して「寂しいから会いにきてくれ」と毎日電話をかけ、真面目な被告はその言葉を無視することができずにかえって疲労がたまる状況。施設への入所など、被害者が認めるはずもなく、長期的にみて取り得る手段はほとんどなかった

・強い後悔

→被害者を殺害後、被告は自身の左手を包丁で切り落とし自殺をはかった。リストカットではなく、手首ごと切り落としたことから、とてつもない後悔と、壮絶な心の内が顕著に見える

 

・重い量刑は無意味

→被告は相当程度追い詰められていた。自分のしていることが、どれほどの罪になるかなど考えてはいなかった。同様の状況にいる人にとっても同じことだろう

・被害者も受け入れていた

→被告が、被害者の首に手をかけても、被害者は抵抗をしなかった。最初は驚いて倒れはしたものの、その後、被告の腕を掴んだり、「やめてくれ」と言うようなことはなかった。被害者の病状であっても、自身に行われていることがなんであるのかはもちろん理解できていた。にもかかわらず、抵抗はなかった。

 

以上のことから、執行猶予付きの判決を望む。というのが、弁護人の主張だった。

 

弁護人が、「この場にいる誰も、被告が罰せられることを望んでいない」と言った時に、たしかにそうだなと思った。

 

結果は、明日の15:30に伝えられるらしい。

直接行くことはできないが、後日、裁判官の最終的な結論を調べてみようと思う。

 

素直なことを言えば、当初、裁判へ行く目的は「悪い奴を見たい」という物見遊山だった。

しかし、現実のその場所に悪い奴はいなかった。

ディーター・ロス・サラミ【昨今のアートワールド】

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今日は書かれていることをそのまま訳します。

ドイツのケルンにある「ルートヴィヒ美術館」のポストから。

 

かっこの中は、私のツッコミです。

 

50年前のサラミを見たことがありますか?? ここに来れば、それを見ることができます。

(どんな誘い文句なんだよ。女の子口説く時に、「よかったら今度、うちに50

年前のサラミを見にこない? すごくかわいいんだ」とか言わないでしょうよ)

 

Dieter Roth(ディーター・ロス)は、有機農法で作られた食品を使って、独自の世界観を表現していきました。この作品「小さな夕焼け」も、青と白の紙の上に、スライスされたサラミをのせて作られています。夕焼けを表現しているそうです。

(まぁ、ツッコミどころはいっぱいあるけど一旦無視で)

 

サラミは、太陽であり、時が経つにつれて徐々に色が変わっていきます。

(急に真面目な話ですが、画面を意図的に変化させていくことで対象を表現していくというのは、過去の絵画作品にはありえない概念で、新しい試みでした)

 

ロスは、ハンブルクで、Schimmel Museum(Schimmel = Mold = 型、性格)という仮設美術館をつくりました。6年後、ロスの死とともに、その美術館が閉鎖されたことは、想像に難くないと思います。

(ここらへんは何言ってんのかよくわからないと思います。背景の知識がないと、ロスがどんな人生を歩んで来たかを知らないと、理解できません。まぁ、でも、そういう感じの人だったんだなと理解しておいてください。)

 

以上、ロスさんの作品でした。

セレステ・デュプシー・スペンサー【昨今のアートワールド】

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今日はベルリンの有名ギャラリー Galerie Max Hetzlerのポストを。

アメリカの若手作家 Celeste Dupuy-Spencer(セレステ・デュプシー・スペンサー)の絵が紹介されています。

 

このアーティストは、セザンヌの絵画技法を研究して、アメリカ人の肖像画を描くことを得意としています。

 

絵が下手なのはセザンヌ的だから。ハッハー! アメリカンジョーク!

(ちなみにこのアーティストは下手じゃないです)

 

えー。アメリカという国は、今、トランプが政権を取り、排他的な政策にシフトをしています。でも、そもそも、アメリカが排他的な政策を取るなんて、自己否定もはなはだしい。あそこは、ひとつの国に見えて、たくさんの小さな国の集合体のようなものなので、他文化を排除していったら、国が分裂するしかない気がする。

 

まぁ、いいや。

 

その、対外的な問題もさることながら、アメリカでは農村部と都市部のあらゆる点での格差や差異が問題となっています。ここらへんは中国と本当によく似ている。そんで、現代のアートの中心はアメリカのニューヨークです。アーティストの数も、ギャラリーの数も、桁違いに多く、流通する作品の量や質が段違いに高いです。

 

めんどくさくなってきたので平たくいうと、世界のアートはちょっと前までアメリカの都市部へ向けて作られていました。ざっくりいうと。そうなると、アメリカ農村部がテーマになっている作品って実はあんまりなかったんです。アートにも、純然たる地域格差があったんです。

 

でも、最近は、もっとアートの表現やテーマに多様性があるべきだという認識が一般的になり、途上国とか、アジアとか、中東とか、ゲイとか、また、アメリカの農村部とかをテーマにした作品が、世界の表舞台で脚光を浴びるようになってきたのです。

 

だいぶ大雑把な説明だけど、だいたいそういうこと。

 

その、代表格の1人が、このセレステさんだっていう話です。

 

このブログは、昨今のアートワールドなんて、大それたテーマで書いているのですが、つまりここらへんをちゃんと説明して行きたいなと。

 

アートっていうのは、昔は神様を作っていたし、その後は王様を描いていた。ただ、最近は、富からも権力からも離れている部分がつくられることが多くなり、それは、アートの歴史の中では革命的であり、すごくいいことだなって思うんです。

 

つまりそういうこと。これについては今後も書いていきます。

ロバート・ロンゴ・インデペンデンス・デイ【昨今のアートワールド】

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7月4日はインデペンデンス・デイだったようです。

 

これは、Robert Longo(ロバート・ロンゴ)という1953年にニューヨークで生まれたアーティストの作品です。アメリカ国旗が描かれている。

 

彼のテーマのひとつに、力と権威というものがあり、黒い旗のかたちをした彫刻とか、巨大なハンドガンのシリーズを作っていたので、その時代の作品なんじゃないかなと思います。

 

ロンゴは、ほんの少し前には世界中から熱烈に支持を得ていたアーティストです。でも、今見ると、なんか少し古臭く感じてしまう。

不思議なもんです。300年を経ても、新しいと感じる作品もあれば、数年で古臭さを感じる作品もある。別にいいんですけどね、古臭くても。古いことは、悪いことではないですから。仕方のないことです。

 

トレイシー・エミン・ハピバ【昨今のアートワールド】

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Tracey Emin(トレイシー・エミン)さまの御生誕記念日らしい。おめでたいことです。

 

このベッドの作品はトレイシー・エミンの代表作であり、イギリス美術史に残る名作。使い古した汚いベッドを、避妊具とか生理用品などと一緒に置いただけの作品で、よくもこんなもの置いてくれたな! 美術舐めんな! という声と、これこそが現代の表現だ! これを評価できずに新しい時代は到来しない! という声が雄叫びあう混沌を巻き起こしました。

 

私がエミン様の作品を、最初に生で見たのは、2007年のヴェネツィアビエンナーレ。10月初旬の快晴の日で、気温も適度に高く、あぁ、イタリアに来たんだなぁという感慨に浸りながらビエンナーレの会場を歩いていると、藤本由紀夫とか、束芋とかの作品がけっこういい扱いで置かれていて、京都造形芸術大学卒業の私にはなんだか嬉しかった気がします。

国別の展示小屋が並んでいるエリアで、日本館の斜め前にあるイギリス館の前にくると、ホームセンターで売っているような木の板を乱雑にくっつけたようなオブジェがあり、なんやかっこいいなと思いながら入ると、そのオブジェとドローイングだらけの展示が行われていました。かっこよかったので、10€ぐらいで売っていた展示品のカタログを購入。

 

でも、その頃はまだ今ほど、世界のアートシーンに興味がなかったので、あの展示のアーティストが、この「ベッド」の作品のアーティストと同一人物だとはしばらく気づきませんでした。

 

気づきましたか。今日は、私のただの旅行の思い出話で終わります。また明日。

ロンギング・フォー・ニューヨークタイムズ【昨今のアートワールド】

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おひさしぶりのブログです。

 

この3ヶ月ぐらい、自分をとりまく状況がめまぐるしく変わりまして〜……。まぁ、自分のことはいいや。

 

とりあえず、くま美術店の方向をがらりと変えることにしました。詳細はなにかのかたちで報告します。

 

今思うのは、私はやっぱり美術というものが好きです。特定の時代や、アーティストや、作品が好きなわけではなく、美術というものが存在しているこの世界がすごく好きです。

なにか、大きなことを成し遂げる人の多くは、怒りとか不満を持って戦っているように思います。それは実際に正しいし、まだまだこの世界には不幸なことが多く、解決すべき課題がたーくさんあるはずです。

 

でも、私の中にはそんな「怒り」みたいなものがあまりなく、ただただ「ありがてえ」という思いで生活をしています。特に、この世界に美術というものがいてくれてありがてえわけです。

 

その思いを、体現できるような活動ができれば、またさらにありがてえなと思うわけです。

 

ということで、このブログも続けていこうと思います。読んでいただける方々。みなさまにおかれましても、私はありがてえなと思っているので、これからも定期的に見てください。

 

今日は、嬉しいつながりで、Storm King Art Centerのポストを。

 

ニューヨークタイムズが、これだけの紙面を割いて、新しいショーの紹介をしてくれたんだそうです。アメリカでも屈指の巨大メディアは、アートに対しての情熱が凄まじい。

 

この記事以外にも、ニューヨークタイムズのアートレビューは本当に素晴らしく、私もよく読んでいます。ウェブ版がここから見られるので、是非アクセスしてみてください。

www.nytimes.com

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー【昨今のアートワールド】

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イギリスの至宝 Joseph Mallord William Turner(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー)の誕生日です。パチパチパチパチ。1775年に生まれたそうですね。

 

ターナーは説明不要の巨匠! って言えるほど、すごく一般的な名前でもないし、でもなんとなくみんな聞いたことあるような気もするし。教科書とかにも出てはいるんですが、一般的によく出てくるような名前ではないって感じでとっても微妙な立ち位置の巨匠です。

 

イギリスという国は、現代アート主流の今でこそ優秀なアーティストを多数輩出していますが、それまではヨーロッパ諸国から「イギリス人は絵が下手」とバカにされ、その鬱憤を戦争で晴らすというとんでもない国家でした。(これはただの妄想なので絶対に真に受けないでください)

 

そこへ18世紀の終わりにターナーが誕生。圧倒的な描写力、今までにない斬新な技法、輝くような色彩。イギリスが、歴史上初めて文化的に花開くきっかけとなったのがターナーなのです。(間違っているとは思わないけど、あくまで妄想ですから)

 

だから、まぁ、とにかくターナーはイギリスの至宝であり、プライドなんです。ハッピーバースデイ!

ルナ・イスラム【昨今のアートワールド】

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バングラディッシュではなく、バングラデシュと呼んでいます。「温玉です」と同じ発音で。

 

Runa Islam(ルナ・イスラム)という、バングラデシュ出身で、その後イギリスに移り住んだアーティストであり映画監督でもある女性の作品です。1970年に生まれたらしい。若いイメージでしたが、意外と年上で驚きました。

 

この展覧会は、とにかく市井に生きるふつうの人々をストレートに写しているアーティストの作品を集めましょうというコンセプト。ルナはまさにそういった作品をたくさん作っているので、うってつけです。

 

バングラデシュと聞いて、即座に世界地図の中でどの位置にあるか浮かぶ人は少ないと思うんです。ミャンマーの左、インドの右です。ほぼ、インドに囲まれた地域。あまり知られていませんが、日本から一番距離の近いイスラム教の国です。いや、インドネシアの方が近いのか??

 

意外と近いけれど、すごく遠くにある印象の国です。距離も、文化も、宗教も。でも、すぐそこにあります。

ロニー・クヴェドー【昨今のアートワールド】

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体育感。

 

1981年にエクアドルで生まれた Ronny Quevedo(ロニー・クヴェドー)の作品です。今はニューヨークに住んでいるそう。

 

この線は、バスケットボール、サッカー、バレーボール、ハンドボールと、今住んでいるニューヨークで移民の人たちが毎日行なっているボールゲームを図解して、組み合わせたものだそうです。

 

なんのこっちゃよくわかりませんが、とにかくあれだ。かっこいい。

 

アナログなことをしているようですが、考え方としては diagrammatic language つまり、図解記号(って訳せばいいのか?)をもとにして、スポーツの持つグローバルな感じと、小さなコミュニティの感じの両方を作品にしましたという、わりとプログラミング的な作品です。

 

この説明もなんのこっちゃわからん感じには仕上がっております。