美術は教養だ!必須知識だ!仕事人の常識だ!知ってろ!知ってろ!知ってろ!
美術は、ビジネスマンに必須の教養である!みたいなのについて書きます。
基本的は「美術は教養ですよ」みたいな頭の悪い話に乗ってしまうのって、とんだ無教養な話だなってことを書いていきます。
大好きな雑誌のブルータスも「美術は教養」的な特集組んでるから、あんまり悪口も言いたくないけどさ。
そもそも。
教養ってよ。
学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。
だと。
徹頭徹尾、自身の内面的な成長や、人生における長期的な豊かさを手にするためのものが本来の教養。
でも、美術うんぬんで語られる教養って、知ってたら自慢や、連帯感や、なんとなくのインテリ感が醸し出せる精神的装飾ツールみたいなもんでしょ。
つまり、安っぽいコミュニケーションツール。
これは教養ではないと思うのよ。
たしかに、教養がある人とは話していて面白いから、お近づきになりたいっていうのは老若男女問わずあるよ。
でも、それって、本当に深い知識だからこその教養であり、価値でしょ。
生活もやや犠牲にしつつ、経済観念など一切顧みることもなく、ネテロ会長の感謝の正拳突きのに近いような、利害関係なく狂気にみちた世界にどっぷり使って手に入れた知識だからこそ、聞いてる側は宇宙人の話を聞くようで面白いと思えるのよ。
誰が、「これを知ってるといい感じよ。こことここはポイントだ!」みたいな知識を楽しめるだろうか。
むちゃくちゃ好みの人にはじめて会ったというシーンをイメージしてほしい。
友達と飲んでたら、その友達の知り合いがたまたま同じ店に来て、一緒に飲むことに。
その人がむちゃくちゃ好みっていう設定ね。
まぁ、そこそこ時間も進み、緊張も溶けて、話もわりと盛り上がってる。
もうちょっと距離縮めたいなと思って「休日はなにしてんの?」みたいなこと聞くじゃん。
そうすると相手は「友達と買い物したり、飲んだりぐらいかな。いつもおんなじ感じ」って言うじゃん。
「そうなんだ。じゃあ、たまには行ったことないところにでも行ってみない?」って聞くじゃん。
「たとえば?」
「うーん。なんか行ってみたいとことかある?」
みたいな展開で、相手がこう言うわけよ
「美術館とか興味あるかも」
はいこれ。
こんな時にね、あっさーい美術の知識なんて披露してみなさいよ。
せっかくうまく行っていた空気が台無しよ。
台無し。
まぁ、でも、その場は初対面だし、相手もちょっと警戒しながら、デートの約束ぐらいはできるかもしれない。
ただね、本当に美術館デートすることになって、実際に美術館に行って、ブルータス読みました!みたいなこと話してみ。
まー盛り上がらないよ。
だって、そんな話面白くないもん。
俺ぐらい知識あれば別よ。
だいたい俺と美術館行くと相手は爆笑。
作品見ながらゲラゲラ笑っているよ。
そうすりゃすべてがスムーズよ。
そうなるためには、教養として身につけようと思った程度の知識じゃ全然足りないの。
仕事に影響出るけど、どうしてもこれだけは外せない!ってことの連続で手に入れた知識でなければ、美術館で爆笑を誘うことはできない。
だから、やめておきなさい。
教養としての美術の知識なんて、かえって人間的魅力を損なうよ。
そうじゃなくて、本当の意味で美術を理解したいと思うなら、まず、ひとりで美術館に足を運び、心から感動する作品を探してみて。
最初は、ほとんどのものが無価値に見えると思う。
「なんでこれが」の連続よ。
でも、いろいろな美術館に足を運んでると、わけがわからないほど心にフィットする作品が出てくる。
そこを足掛かりに知識を広げると、素晴らしい美術の世界にすんなり入ることができる。
そうして得た知識は、紛れもなく教養であるし、誰に話しても興味をもって聞いてもらえるものだと思う。
もちろん、気になるあの人も爆笑だよ。