くま美術史

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はじめて裁判を傍聴してみて

久しぶりのブログうんぬんは置いておいて。

 

最近は、美術館やギャラリーには変わらず行っているし、趣味で作家ものの陶磁器を買ってみたりしている。

そういった文化的活動は一旦忘れてほしい。

 

今日は、裁判の話をしたい。

 

なぜなら本日私は初めて裁判を傍聴し、忘れ難い1日となったからだ。

 

傍聴した裁判は「東京地裁 平成29年 合(わ)第185号」

殺人事件の裁判だ。

 

10時をまわると検事や弁護人に続いて、被告人が紐に繋がれ入ってきた。

白髪初老の小柄な男性。この男性が、自身の母親を殺害したため、その罪を決定することがこの裁判の目的。

 

前回までの審理の様子はまったく知らなかったが、今回は検事側の論告と、弁護側の弁論があったため、大筋でなにが起こったのか理解することはできた。

 

端的に言えば、母の介護に疲れた男性(以下:被告)が、自らの手で母親(以下:被害者)を殺したようだ。

被害者は脊髄が圧迫されることで痛みと四肢の不自由があり、それが原因で老人性鬱を発症。さらに軽度の認知症も合併。結果、言動の不一致や、深夜徘徊などが多くなる母親の面倒をみていた唯一の同居人の息子が、ある夜に行なった犯行だ。

 

この時点で、みなさんはどう思われるだろうか。

私は「ああ。なるほど。どおりで人なんて殺せそうもないどころか、殴ることすら難しそうな人が出てきたわけだ。ありそうな事件だな」と思った。

 

まず、検事の論告が行われた。要点は以下。

・被告は自らの手で実の母親の首を締め殺した

・強い殺意は明確

→最初に首を締めた時に被害者は驚き倒れた。その後、より強く首を締めて殺した

・ある程度の自立した生活能力

→被害者は、要介護度で言えば最も低い等級であった

・病気で辛いだけの生活ではない

→被害者は、時折訪ねてくる友人とお茶を飲むことなど、ささやかな楽しみのある生活だった

・生きることに前向き

認知症の予防(治療)のため漢字の練習をするなど、前向きに生きていた。また、被害者は過去に自殺未遂をしており、そこから回復して生きていることは、前向きな人生を歩んでいると言える

・支え合う生活

→介護される側とはいえ、時折、被告のお弁当をつくるなど、支え合う生活であった

・自首は自発的な意志からではない

→被告は自首している。しかしそれは翌日に訪問客の予定があったため、早晩、自体が発覚することは明確であったから

 

なによりも大事なことは

他に取り得る手段があったのに、殺害という方法を選んだこと

介護施設や、病院への入院(鬱治療のための精神病院へ)など、他にもいくつか方法を選ぶことはできた。

 

ただ、個人的な見解として被告人をみると、真面目な人間であり、自身の犯したことへの反省も強く、特殊な状況で起こった事件であり、再犯の可能性は無いと言える。

しかし、罪の重さは社会的な影響も考慮しなくてはならず、同様の状況下にある人々が同じ過ちを犯さないためにも、比較的重い量刑であるべき。

 

これらを元に、過去の判例を鑑み、懲役6年を求刑する。

 

とのことだった。ここで15分の休憩。

その後、弁護人の弁論がはじまった。

 

弁論の要点はこうだ。

・長期の介護生活による疲弊の蓄積

→被告は、20年の長期に渡り献身的に被害者の介護をしていた。日々の世話や、毎週の病院通いによって、たまの休日もすべて母に捧げてきた。被害者を最も愛していたのは被告であった

・被害者の状態が突然悪化

→それまでも被害者のうつ状態は断続的にあったが、昨年の5月初めに急速に悪化し、話しかけても反応が薄くなる反面、深夜に徘徊し、目を離せなくなったため、睡眠時間を削られ、疲弊の度合いがよりつよくなった。結果、5月21日の夜に殺害を決行

・選択肢はなかった

→短期の入院であっても、被害者は被告に対して「寂しいから会いにきてくれ」と毎日電話をかけ、真面目な被告はその言葉を無視することができずにかえって疲労がたまる状況。施設への入所など、被害者が認めるはずもなく、長期的にみて取り得る手段はほとんどなかった

・強い後悔

→被害者を殺害後、被告は自身の左手を包丁で切り落とし自殺をはかった。リストカットではなく、手首ごと切り落としたことから、とてつもない後悔と、壮絶な心の内が顕著に見える

 

・重い量刑は無意味

→被告は相当程度追い詰められていた。自分のしていることが、どれほどの罪になるかなど考えてはいなかった。同様の状況にいる人にとっても同じことだろう

・被害者も受け入れていた

→被告が、被害者の首に手をかけても、被害者は抵抗をしなかった。最初は驚いて倒れはしたものの、その後、被告の腕を掴んだり、「やめてくれ」と言うようなことはなかった。被害者の病状であっても、自身に行われていることがなんであるのかはもちろん理解できていた。にもかかわらず、抵抗はなかった。

 

以上のことから、執行猶予付きの判決を望む。というのが、弁護人の主張だった。

 

弁護人が、「この場にいる誰も、被告が罰せられることを望んでいない」と言った時に、たしかにそうだなと思った。

 

結果は、明日の15:30に伝えられるらしい。

直接行くことはできないが、後日、裁判官の最終的な結論を調べてみようと思う。

 

素直なことを言えば、当初、裁判へ行く目的は「悪い奴を見たい」という物見遊山だった。

しかし、現実のその場所に悪い奴はいなかった。