豆腐のような絵【1日1品】
好きじゃないけれど、認めざるをえない。
そういうものってたまにあります。
たとえば、豆腐。
私は、豆腐のことはまったく好きになれません。
嫌いではないけれど、好んで食べることはありません。
でも、豆腐が多くの人に愛されていることは理解できるし、すごいなと思います。
冷奴、湯豆腐、田楽、白和え、もしくは鍋の端を守る役として。
主役にも、脇役にもなれるすごいやつです。
好きじゃありませんが、尊敬はできます。
イギリスの画家ピーター・ドイグは私にとってまさに豆腐のような作家です。
本日の1品は、「Swamped」
意味は、殺到。
まぁ、おしゃれです。
キラキラでゆらゆら。
スーパーざっくり美術史を流すと、美術の作品は長い間、重々しい雰囲気であることが重要でした。
教会に置かれているような、荘厳な感じ。実際に教会に置かれていたし。
1900年ごろに印象派がそれを少しくずし、60年代にPOPアートが明るくしていきました。
世の中の動きとだいたい一緒です。
ただ、POPアートと同時期に「コンセプチュアルアート」というものも流行り、理解に苦しむようなものがたくさん出てきました。
このコンセプチュアルなアートは、将棋や、麻雀のように、ルールがわかれば「そんな手がありましたか! 」「すごい役ですね! 」みたいな楽しみ方ができるのですが、ふつうにパッと見ただけではゴミみたいなもので。
まぁ、わかりにくくて一般受けはしなかったんです。(反面、強烈なマニアはたくさんいます。私もそう)
それでも時代は変わり、80年代になり、グローバルがなんやかんやしている中で、「新時代の絵を描かなければいけない」というような人たちがたくさんでてきます。
もっと、たくさんの人に訴えかけるような。共通のイメージであるような絵を求めていたように思えます。
そこで、ピーター・ドイグのような画家が生まれます。
彼の絵は、うまく言えないのですが「情報としての絵」っていうのかな。
どこかの、誰かを描くことが目的ではなく、みんなの感覚をつなげて、物語の中に入り込ませるような絵ですね。
なんか、静止画なんだけど、ゆっくりゆらゆら流れていくような。
ようするに豆腐かな。